2015年11月4日水曜日

朽ちていった命:被曝治療83日間の記録(新潮文庫)

2011年3月26日以来、福島第一原子力発電所では事態収拾作業が続けられている。
通常の1万倍という放射線の環境下、東電側の不手際で作業員が被曝するという事態まで
起きてしまった。

このような時だからこそ、十年近く前の東海村JCO臨界事故のことを想起すべき、と考える。

舞台は東大病院の無菌治療室。JCOの作業員として20シーベルト(今やこの数値が何を物語るか
わざわざ説明する必要はないだろう)の放射線を浴びた35歳の男性。

入院時は意識もはっきりしていた。しかし、事態は11日目ごろから急転する。
「こんなの嫌だ。このまま治療をやめて、家に帰る。帰る」
「おれはモルモットじゃない」
致死率100%ー文庫の口絵にある右手の変化の写真が痛ましい。
そして、被曝によって生命の設計図である染色体が崩壊してしまう画像。
まさに、朽ちていく染色体、朽ちていく「いのち」なのである。

このような事態に至って、治療行為、延命にいかなる意味があるのか?
医師、看護師の葛藤に関する記述が重い。

男性がなくなった後、主治医は記者会見でこう述べる。
「原子力防災の施策のなかで、人命軽視がはなはだしい。現場の人間として、いらだちを感じている。
責任ある立場の方々の猛省を促したい」

私たちは、この事件から教訓を得たのだろうか・・・・答えは否である。
<協力会社>という形で作業されている方々の環境。
線量計がない、だとか、長靴がない、といった報道に接するにつけ、暗澹たる気分になる。
そしてなにより、元請の会社に対する怒りを覚える。
日々、このような報道に接するたび、上記の疑問を抱かれる方は是非一読されたい。
今日も福島では「直ちに」影響が出るレベルで作業されている方々がいることを想起しながら。


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