考えてみたら凄いタイトルだ。
本書でも触れているとおり、叔父さん+おいの関係は、
人間関係の中でも最良のものだ。そしてそれが網野善彦と中沢新一なのだ。
ゆえに、中沢新一がこの本を書くのは宿命と言える。
この本は中沢新一による網野論だ。
したがって網野史学への効率のよい導入を期待するならいくばくかの失望をすることになるだろう。また、中沢の意図を十全に汲み尽くすには、本書には補助線の存在が不可欠に思える。
中沢の著作「蜜の流れる博士」所収の、中沢の父に関して書かれた文章がそれだ。
日本民俗学の非柳田國男的系譜-それは武田久吉であり、
折口信夫であり、渋沢敬三であり、宮本常一である。
そうした系譜の磁場に、中沢の父がいたのだ。
歴史のなかの「トランセンデンタルなもの」に目を向ける中沢父。
それはやがて石を投げる民の「発見」を通じて網野善彦の転回に結実することになるだろう。
重ねて言う。
本書の真価を実感するためにも、
いや、網野史学の土壌の上に花を咲かせる第一歩としても、
「蜜の流れる博士」との併読を勧めたい。
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